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「柳生非情剣SAMON」 原作・隆慶一郎 脚本・田畑由秋 作画・余湖裕輝

「花の慶次」などの原作を書いた小説家の作を「アクメツ」コンビがコミカライズした、時代劇マンガ。
柳生と徳川の人間たちの思惑と業、そして愛憎が絡み合う物語が柳生宗矩の次男・柳生左門友矩を中心として描かれている。



店頭で見た時裏表紙側の帯の「尻一つで十三万石だとぉっ!!」というアオリに笑ってしまった。


そして、相変わらず余湖先生の描くキャラクターは格好良い。



さて、物語の前半は左門によって幼いころの暗殺の恐怖と、柳生十兵衛三厳の剣力への畏怖からくる強さへの執着から開放される徳川家光と、その後魅かれ合う二人を描き、後半は地位に執着する柳生宗矩、剣力に執着する十兵衛らと左門の最期とその後を描いているのだが、当然どちらも物語の中心にいるのは柳生左門友矩なのだが、彼自身の意志、執着というものはほとんど物語を動かすことなく、天下無双の剣力と美麗な容姿、そして悟りを開いているかのような精神をもつ左門という存在そのものによって動く周囲の人間こそが物語を動かしている。


実際、左門が見せた意志のようなものは家光への想いと、剣士として何か一つ残して逝きたいといった程度のものであり、前者は家光と想いが通じた時点で満足しているし、後者は十兵衛の右眼をつぶしたことで満足している。
その自らの命まで含めての執着のなさこそが、彼を真に剣に生きる死人としているのだろう。

対して、宗矩は剣のみに生きた父・柳生石舟斎への反発から、自らの地位を向上し、それを保つことに全霊を捧げているし、十兵衛は生死の掛かった実戦においていかに勝つか、剣力を上げるかに執心している。
そこが対比となり、左門の浮世離れした神秘性がより強調されている。


結局の所、業と執着にまみれたこの世において、柳生左門友矩にそれらがほとんど存在しなかったことが、他者を惹きつけ、逆に人に妬まれることとなり、しかしもとより執着がない故に生きているときから死人の境地に達していた彼は、家光の恨みや、十兵衛が見続けた怨霊として、死してなおその存在は生き続けたという物語に思える。
左門の妖しいまでの美しさに触れることで、逆に周りの人間は業や執着が露となり、醜いまでに囚われていく。
そう考えると左門と近い所にいながら、特に変わることのなかった宗冬は実はものすごい人物なのではないだろうかとも思ったが、家光や宗矩の執着に挟まれて、彼自身の意志の全く働いてないことで割を食ってしまっているのでなんとも…




あと最初に書いた「尻一つで~」で解るように、本編にはそれなりのホモ描写もあるのであるが、作者にそのけがないためか、そういうことが普通の時代が舞台なためか、左門が女のベタベタする様が煩わしいことから衆道に走ったことから、あっさりと描かれているためか、はたまた自分が慣れてきているのか不明だが、特に気にすること無く読めた。
むしろそういう描写を好む向きにはあっさりしすぎでつまらないのではないだろうか。




最後にいうのもなんだが、自分は原作を未読どころか、柳生に関する知識は上山徹郎先生の「隻眼獣ミツヨシ」と、「シグルイ」での一瞬ぐらい(要するに皆無)なのだが、普通に楽しめた。
むしろ柳生に関して関心がわいたので、歴史マンガとして優れているのではないかと思った次第。

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No title

>特に変わることのなかった宗冬は実はものすごい人物なのではないだろうかとも思ったが

ぜひ原作に収録されている「ぼうふらの剣」を読んでください。宗冬が主役の話です。

コメントありがとうございます。

>依存症さん
原作に勝るメディアミックス無しと思っているので、この作品も原作は気になるところです。
近いうちに読んでみます。
プロフィール

デス川

Author:デス川
ネタなんだかマジなんだか解らない、馬鹿格好良いマンガやらメタルやらを好みます。

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